生命の農業 誕生

 

2003年8月タンザニアコンサートが大成功となり帰国した時、私の本音とし農業の大切さを深く感じたところから農業をしたい気持ちが生まれ、無性に青森に行きたくなりました。まずは行ってみようと9月に入り青森に行きました。岩木山の嶽「だけ」で取れたとうもろこしが道端で売っていました。わたしは引き込まれるように蒸したてのとうもろしを買いました。食べた瞬間あまりのおいしさに大声を上げ喜び一気に食べてしまいました。甘くておいしくて力があって大変満足し、何度も何度も「とうもろこし、おいしかったね」と話す私でした。こんなにおいしくて体に良い物を私も作りたい気持ちがこみ上げてきましたが、現実的には到底無理なことでした。年明けて2004年、甲申年 高句麗建国の年まわりでもある60年に一度巡ってくる年を迎え、私の内から生まれた本音は「国創り」です。「日本は、古代子孫のために良い国を作ろうと生きてきた人達の国創りの魂がたくさんある」とのいだきしん先生のお話を聞き、私は国創りの魂蘇る 国創りイベント「高句麗伝説」を日本列島南から北上し、最後青森で開催しました。山形にて、日本の農業に心尽くしてこられた先生にお会いし、農業の大切さを教えられ、大変感動しました。大いなる希望を抱き、青森へ向かったことが昨日の事の様です。今思えばこの時新しい芽が生まれていたのです。

青森にてもぎたてのトマトを頂き、私は感激しました。今までトマトを食べると舌が痛くなるので食べられなかったのです。青森のもぎたてのトマトは果実の様に甘くみずみずしく、体の中に新しいエネルギーがしみ通っていくことをはっきりと感じられるのです。生命の恵みを頂き、私は心よりありがとうございますと感謝しました。大切な生命であり、たった一度の人生です。自分の体をもっともっと大切にし、与えられた生命を健康に元気で生きていきたいと心底望みました。豊かな精神は生きる柱ですが、食べる物も新鮮であれば、自然の生命の恵みを私達の生命に含む事が出来るのです。私は神の贈物と感じ、尊い自然の生命の恵みを頂け、生きていけます事を心よりありがたく感謝します。豊かな精神と健康な身体は私達人間の生きられる良い社会、環境作りの基本と考えます。

いつか農業にたずさわりたい気持ちがありながら実行できないでいました時、斎藤克哲君が斎藤家の青森の田んぼでお米を作って下さっている方との話し合いの中で「生命の農業」の仕組み作りをしたいと話しはじめたのです。私は胸に光がともり、未来に希望が見え、生命の道が見えました。今、生命の道と感じた、「生命の農業」がスタートします。準備段階でたくさんのおいしい物を御馳走になりました。手作りのお味噌は体に染み通る程おいしく生命の糧になっていくのを体感しました。気持ちが良く、体があたたかくなり元気が生まれるのです。とりたての長いもは、すって頂きました。真白い輝きの美しさほれぼれしながら頂きました。その後、チヂミを作りました。きれいな生地は焼いても美しいのです。とってもおいしかったです。私の大好きな大福もちのおいしかったこと! 私は5つも食べてしまいました。納豆は食べたこともない位、おいしく、この身に含めることに感謝しました。そして、「小泊便り」として送って頂いたやりいかのいかめし、えご天、ふきのとうのみそ、全部絶品でした。あっという間に食べてしまいました。私は青森へ行くと時間のある限り必ず小泊に行き、いか刺しを食べます。レバノンの人をお連れしました。日本で一番おいしいものは小泊のいか刺しだと今でもおっしゃっています。

青森の小豆も煮ました。大地の香りがかぐわしく、体に気持ち良く入っていく感じがうれしく、しあわせでした。私は小豆が大好物ですので、蜂蜜とお砂糖でおいしいあんこを煮て、大福もちを作りました。青森に行った時、産みたての卵を頂いたので、私は夜遅く帰宅し翌朝は大阪へ発つ日でしたが、新鮮なうちにと考え、夜中にケーキを作り始めました。すると割ってもなかなか形が崩れず、どれ程新鮮かはその美しさと張りのある状態でよくわかり、感動しました。泡立て器で泡立てている時の清らかな色に感激し、神様の贈物と感激し、心の底からありがとうございますと言いながら作りました。大変美しいケーキが焼き上がりました。
東京に住んでいて、新鮮な自然の恵みを頂ける事はまずありません。皆様のお気持ちで東京に居ながらにして新鮮な生命の恵みを頂けますことがありがたくてなりません。

世の中にはお金で買えない物がたくさんあるといつも感じていますが、普通はお金で買えないものを皆様のお気持ちで頂けることに心より感謝し、頂かせて戴きます。ありがとうございます。